明石家さんまの生い立ちは嘘のように凄い?
明石家さんまさんといえば、お笑い界のトップで走り続けて、いつもテンションがとても高く、ひょうきんに笑う姿から元気をもらっている人もたくさんいると思います。
そんな明石家さんまさんですが、笑いを取るその姿からは想像ができないほどのすごい生き立ちをしてきました。
今回は、明石家さんまさんの生い立ちや家族について調べてみました。
明石家さんまの生い立ちに嘘のように凄い?
明石家さんまさんは、テレビでいつも明るく笑いを振るまいていますが、実は生き立ちは嘘のようにすごいです。
まず、明石家さんまさんが3歳の時に実母が亡くなっています。
そして、父親が再婚し義母と弟が出来ましたが、自分の子供しか可愛がらないタイプの義母でした。
そこで、明石家さんまさんはそんな義母に好かれようと家で笑いを振りまき、その延長で学校でもお笑いキャラとなり人気でした。
小学生の頃、明石家さんまさんがムササビを捕まえて話題になり、そのムササビは今でも学校に飾られているというエピソードもありました。
しかし、家族や家庭で笑いを提供してきた明石家さんまさんですが、義母からはなかなか受けいれてもらえませんでした。
でも、義母の連れ子である弟には本当の弟のように可愛がりましたが、そんな弟が高校生になった時に自宅火災で亡くなってしまいました。
その後、高校3年生の時に落語家を志して笑福亭松之助
さんに弟子入りを果たします。
そして、落語家ではなくお笑いタレントに転向して1970年後半から活躍を続け国民的お笑いスターの1人になりました。
まるで、不幸なテレビドラマみたいな生い立ちですね。
テレビで見る現在の明石家さんまさんの笑顔の裏にはこんな生き立ちが隠されていました。
明石家さんまの家族
明石家さんまの家族は、両親と兄の正樹さんの4人家族です。
明石家さんまさんは、1988年9月に女優の大竹しのぶさんと結婚します。
しかし、大竹しのぶさんは再婚で死別した先夫の間に息子 1人いました。
それでも、さんまさんは実の息子のように扱っていました。
これは、弟の時と同じですね。
その後、1989年9月に2人の間に長女であるいまるさんが誕生します。
名前の由来は、「生きてるだけで丸もうけ」からきました。
現在は、「IMALU」という芸名でタレントとしてバライティ番組にも出演していますね。
ところが、1992年に明石家さんまさんと大竹しのぶさんは離婚しました。
しかし、明石家さんまさん、大竹しのぶさん、IMALUさんの3人はよくモノマネされていますね。
画像を見てわかると思いますが現在は、家族ぐるみで付き合いを続けていてるので、きっと仲の良い家族なのではないでしょうか。
また、ある番組で再婚について聞かれると再婚は考えていないと言っていました。
明石家さんまが売れたきっかけは?
今では売れっ子でお笑い界のトップの明石家さんまさんですが、売れたきっかけはなんなのでしょうか?
それは、ブレイク前で間近の明石家さんまさんは、人気番組「てなもんや三度笠」スペシャル番組にしていた時でした。
この時、熊の被り物をかぶって番組に出演しました。
実は、この熊のかぶりものは西川きよしさんが番組中にかぶっていたもので、「代々、この着ぐるみを着た人は必ず売れっ子になる」と発言しています。
しかし、ガセネタの可能性が高いですが西川きよしさん、明石家さんまさんと売れっ子を多数輩出した熊の着ぐるみは「幸運の熊の着ぐるみ」として関西の某所に保管されています。
それから、レギュラー番組も増えています。
さらに、司会業も任せられるようになりました。
現在ではレギュラー番組4本あり、ビートたけしさんとタモリさんと共に日本のお笑いビックスリーと言われるようになりました。
明石家さんまさんが売れたきっかけは、売れっ子になるという熊のかぶりものをかぶったからなのではないでしょうか?
また、話の振り方や共演者のフォローが上手くお笑いのセンスがあるので、その実力なのではないでしょうか?
まとめ
明石家さんまさんといえば、お笑い界のトップで周囲を笑わせて、元気にしてくれます。
実際に、明石家さんまさんがきっかけで売れた芸人さんや明石家さんまさんから元気をもらった芸能人や一般人がいました。
そんな、明石家さんまさんの生き立ちが嘘みたいにすごくて、本当に驚きました。
現在では、元妻の大竹しのぶさんとも会っていているようです。
これからも明石家さんまさんらしく周りを笑わせてほしいです。